理系と論理的思考

ビジネス理系論理的思考

ビジネスで論理的思考の重要性が説かれてどのぐらい経つのだろう。

就職活動にも論理的であることが有利に働くらしいし、ロジカルシンキングといえばビジネススキルのひとつとしてカウントされる。

そして世間では論理的思考=理系みたいになっている。以前、文系の学部出身の人から理系は就職に困らないから就職の苦労を知らないと嫌味を言われたことがある。個人的には結構苦労して就職しただけに、ずいぶんびっくりしたし、その分腹も立った。

ところでふと疑問に思うのだが、論理的思考だったら、文系の哲学科みたいな学部の人の方がよっぽど強いと思うのだがどうなんだろう。

その一方でこうも思う。もし哲学科のような議論が会社で行われたら、多分みんな働く意欲を失うのではないかと(哲学科の人すいません…)。

で、私は思うのだが、世の中は別に本当の論理性など必要としていないのではないか。実際、普段出会う人の中で論理的な人と会うことはほとんどない。むしろ論理性より、やる気、元気、お世辞の上手い人の方が多い。

確かにサイエンスは論理的だが、論理的思考はサイエンスだけのものではない。サイエンスが論理性を有するのは、サイエンスが実証主義を採択しているためである。事実、実証主義を採択しないサイエンスも残念ながら存在する。エセ科学、疑似科学と呼ばれるものだ。しかしエセ科学であっても論理性は有している。だからみんな騙される。

論理性は特定の学問のみが有する訳でもなんでもない。思考の一形態である。さらに論理が全てでもない。論理性は合理性をもたらすが、合理性を追求すると経験的ではなくなってしまう(この一文の意味は意味がわからなくても良い。以下で解説していく)。

今回のテーマは理系と論理的思考について思うところをまとめて、整理すること、論理的思考が万能ではないこと、むしろ論理的思考は理系にのみ有する特別なものではないことを明らかにすることである。

理系はなぜ論理的なのか

理系は論理的だと言われる。理系が具体的にどのような学問のことを指すのかは不明瞭だが、科学分野(サイエンス)をここでは理系と指す。

ではサイエンスはなぜに論理的なのか。それはサイエンスは実証主義を採択しているからだ。実証主義とは合理論と経験論を融合した哲学で、科学哲学の根幹をなすものである。

合理論とは論理学と数学のもつ性格(これを哲学の用語で表現するとアプリオリという)のことである。合理論の中では全ての事象は論理的な因果関係を持つ。しかし論理の結果が、必ずしも”事実”とは限らない。これを具体的に説明する有名な話がある。「鉛筆の尖った方を下にして、垂直に立たせることができるか」という話だ。

理論上では、接点と重心が垂直になるよう置けば、鉛筆を垂直に立たせることは可能だ。しかし実際問題として、鉛筆を垂直に立たせることはできない(疑うなら試してみれば良い)。このように論理的に可能であっても、実際問題として不可能であることは多々ある。ちなみにこの”垂直に立たせることはできない”という現実を哲学の分野では経験という。

鉛筆の事例から分かる通り、理論は経験から独立している。つまり理論は経験に影響を与えることができない。その一方で、理論が経験に従わないこと自体が、理論それ自体を否定することはない。つまり鉛筆を立てることはできなくても、理論上は可能ということはできるわけである。

だが、それではこの世界を論理的に表現するというサイエンスの目的を達成することができない。論理が現実世界を表現できなければ、サイエンスという学問そのものが成り立たなくなってしまうからだ。

そのため、サイエンスは実証主義を採択することとなった。こんな書き方をすると、そのような宣言があったように聞こえるかもしれないが、それは本当にある。”ウィーン学団 論理実証主義の起源•現代哲学史への一章”がそのひとつだ。もっともこれは実証主義の発展系である論理実証主義の採択だが、このウィーン学団の提唱がサイエンスに与えた影響は大きい。

この提唱によって、心理学もサイエンスの一分野として認められ、一方で形而上学的理論はサイエンスから淘汰された。

実証主義

では実証主義とはいかようなものか。実証主義とは測定、観察を通じて得られた結果を論理的に解釈するという哲学である。すなわち、実証主義に根ざす限り、どのような理論も経験的に確認されなければならない。

これは理論と事実の不一致があった場合、それをサイエンスとは認めないという考えの表れでもある。だが、それは理論そのもの、つまり論理的思考を否定するものではない。ただし論理を正しいとするためには、結果がついてこなければならないということだ。

理系の学問ではこのことを実験というプロセスによって学習する。すると自然と論理的思考が身につくことになる(もちろん真面目に勉強したことが前提だが)。このような思考体系は確かにビジネスにも役に立ちそうだが、実証主義的な思考回路を誰も説明できないし、そう言われても誰もピンとこない。だから平べったく”論理性があること”を要求し、その結果として”理系”という言葉が世の中に普及しているのだと思う。

だが、間違って欲しくないのは、論理的という表現は誤解の多い言葉だということだ。単に論理が強い人は、事実を直視できない人である可能性が高い。論理と事実の関係性を導くことのできる人が真に”理系な人”だと思う。しかしそのような高いスキルを持っている人間は世の中にあまり存在しない。だから世の中の人が論理的な思考を採用の評価や人材のスキルとして扱うことにはいささかの抵抗がある。

適切な仮説の立て方-まとめ

ビジネス

ではここで、適切な仮説の立て方を整理しましょう。

適切な仮説は次の3つの特性を有しています。

  • 検証可能性
  • 判定可能性
  • 反証可能性

つまり適切な仮説であるかどうかを評価するには次の3点を満たしているかを考える必要があります。

  1. その仮説は検証可能か
  2. その仮説は判定可能か
  3. その仮説は反証可能か

これらの評価は、次のように言い換えることができます。

  1. その仮説は現実的に検証できる説であるか?あるなら、どのように検証するのか?
  2. その仮説を判定するための明確な基準を設定することができるか?
  3. その仮説は再現性のある事象、すなわち事実に基づいて検証されているか?

上記を満たしていれば、適切な仮説として具体的なアクションを起こすことができるでしょう。

補足: ニュースで話題になった事象を適切な仮説の立て方に基づいて検討する

事例1: 東芝の不正会計問題

現在経営再建中の東芝は多額の負債と2200億円もの債務超過により、実質的に経営が破綻しています。さらに16年12月決算では第三者機関である監査法人Pwcあらたから監査証明を得ることが出来ませんでした。

この事件の背後には東芝の上位下達の文化があるのではないかと言われています。

上位下達とは上の指示を下に伝えて達成するという、いわゆるトップダウンのことです。

この仕組み自体は組織体制によって当たり前のことですが、行き過ぎれば上記のような結果になってしまいます。

私はこの結果はハロー効果に基づく、事実と異なる仮説と誤った判定によって生まれたものだと考えています。

つまり経営陣のハロー効果によって、立場が下の者が経営陣に都合のいい結果を生み出すために、不適切な行為を行い、その結果、誤った結果に陥ったと推察します。

これは反証可能性の欠落です。

事例2: STAP細胞の存在の是非

「STAP細胞は本当にあるのか」こんな見出しが新聞や週刊誌にとりだたされたのは2014年7月のことです。

この議論は元々はこんな議論ではありませんでした。

元々の問題は「STAP細胞の作り方を発見したが、他の人が同じようにやってもSTAP細胞を作成できなかった」という再現性の問題でした。

簡単にいうなら、レシピ通りに作ったのに、思った通りにならなかったということです。

それが巡り巡って、STAP細胞はあるのか、ないのかという議論に論点が変わってしまったのです。

このように説明しても、「再現性がないということはSTAP細胞は存在しないということじゃないか」と言う人がいますが、それは論理的に間違っています。

再現性がないからといって、STAP細胞は存在しないとは言えません。

この事件から言えるのはSTAP細胞があるかないかはわからないが、少なくとも小保方さんの論文のやり方では作れなかったという事実だけです。

別のやり方なら作れるかもしれませんし、論文に何かが抜けているのかもしれません。

これは検証不足論点のすり替えです。そして論点のすり替わった原因には世論というハロー効果があります。

世論は再現性の意味などよくわかりません。知りたいのはSTAP細胞というものが本当にあるのか、それだけです。

しかし判定可能性の項で説明したように、一般的に真であると判定することは、偽であるというよりも難しいのです。

ですから、STAP細胞があるかという議論は判定可能性が欠落しているのです。

まとめ

このように適切な仮説の立て方が、一般的諸問題にも応用可能であることがわかりました。

問題の原因には実証サイクルの中にある可能性もあります。

以上のことを踏まえて、様々な場面で適切な仮説の立て方を参考にしてください。

適切な仮説の立て方-その仮説は反証可能性か

ビジネス

反証可能性については適切な仮説の立て方-序でも軽く触れましたが、もう一度ポパーの言葉を思い出して見ましょう。

どのような手段によっても間違っていることを示す方法がない仮説は科学ではない

さて、序でも説明した通り、ここでは反証する「手法」があることが重要なのです。

例えば「この人の言うことには逆らえない」なんて場面が日常でもありますよね。

これは逆に言えば、この人の言ってることは仮説とは言えないということになります。このような現象を心理学ではハロー効果といいます。

人の肩書きや地位によって、その言葉の意味合いやニュアンスが大きく変わることを意味します。

しかし仮説の検証をする上でハロー効果を適用してしまえば、それは仮説ではなくなってしまいます。その人の都合のいいように解釈できるようにデータを組み替えたり、データを改ざんしたりしてしまい、間違った判定につながってしまいます。

さて、反証可能性について話を進めていきましょう。

全ての仮説は反証可能性を持たなければならないというポパーの主張は、全ての仮説は反証されていないだけで、真とは言えないとも言えます。

ニュートン力学の崩壊と反証可能性

例えばニュートンが発見した万有引力やその他の法則を元に物理学というものが誕生しました。

しかしアインシュタインの特殊相対性理論と一般相対性理論の発見によって、ニュートンが構築した物理学は反証されてしまいます。

故に現在、ニュートンが構築した物理学は古典物理学と呼ばれるようになりました。

しかしニュートンは反証可能性を意識して残していたのでしょうか?

もしニュートンが反証される可能性があると知っていたら、彼はそれについても検証していたでしょう。

ニュートンにとってアインシュタインは予知できない存在であり、彼によって自らの理論が破壊されるとは思っても見なかったはずです。

つまり反証可能性とは、仮説を立てる立場の人間が故意に(あるいは意識的に)持たせる必要はありません。

しかし客観的な立場において反証可能性があることは大切なのです。

では、どうしたら反証可能性を持たせることができるのでしょうか

それは、その仮説の検証が事実に基づいているかで判断できます。

では事実とは一体なんでしょうか?

事実とは再現性をもつ事象のことです。再現性とはだれがやっても、同じ結果が得られるという意味です。

つまり、その検証がだれがやっても同じ結果になるかを考えれば、そこには必然的に反証可能性が生まれてきます。なぜなら反証するためには、それを覆す新たな事実を発見すればよいからです。

まとめ

仮説は反証可能性を有していなければなりません。反証可能性を持たせるには事実に基づいた検証が必要であり、だれがやっても同じ結果を得られるかを判断することで、反証可能性を持っているか診断できます。

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適切な仮説の立て方-その仮説は判定可能か

ビジネス

判定とは検証した結果に基づき、仮説の真偽を判断する行為です。

一般的に偽かどうかを判定するのは簡単です。理由は反証する事実を見つければいいからです。

前回の白いカラスは反証のいい実例と言えるでしょう。

白いカラスの発見によって「カラスは黒い」という命題が否定された

しかし真と断定するのは非常に難しいものです。なぜならどのような視点から見ても反証されない確率は、いずれかの視点で反証される確率に比べてはるかに小さいからです。

さらに現実的な問題として、人的ミスや機器の不具合、検証方法による不整合などの誤差が発生します。

誤差は反証の事実とは言えませんが、ある差分を見ただけでは、それが誤差なのか、それとも明確な違いなのかを区別することはできません。

このような誤差と明確な差を区別する学問が統計学と呼ばれるものです。

最近はデータサイエンティストという職業の方もいるそうですが、こういった方々は統計学を駆使してビジネスドライブしていく役割を担っています。

さて、統計学とは簡単にいうと山程のデータから何らかの関係性を見出して、仮説を立証していく学問です。

山程のデータを扱うわけですが、その中には誤差やミスなどのデータも含まれます。そういったデータの中から関係性を見出すためには、誤差を弾くための何らかの基準が必要になります。

科学や統計学に詳しい人ならt検定とかp値といった言葉を聞いたことのある人もいるのではないでしょうか。

今回はこれらの統計の専門的な話は抜きにするとして、判定をするためには何らかの基準が必要であることを理解してください。

まとめ

仮説を判定するためには何らかの基準

をあらかじめ設定しておく必要があります。

その基準を立てられなければ、仮説を判定することはできません。ですから仮説を立てる際には、検証方法を検討した後に、その結果がこうであれば真、こうじゃなければ偽という基準を立てておくことです。

もし基準が見出せない場合は、検証方法や仮説を見直しましょう。

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適切な仮説の立て方-その仮説は検証可能か

ビジネス

まず仮説を思い付いたら(この時点では正確には単なる「思い付き」あるいは「アイデア」なのですが)、その仮説が検証可能か考えましょう。

例えば前々回の記事のなかで「カラスは黒い」という話をしました。

これは「ヘンペルのカラス」と呼ばれる命題で、帰納法の弱点を指摘したパラドックスです。

普通「カラスは黒い」ことを証明するには、世界中すべてのカラスを見て黒いことを確認する必要がありそうですが、それは現実問題として無理です。

そこでヘンペルさんは「カラスは黒い」ことを証明するために、帰納法を用いました。

つまり、この命題の対偶である「黒くないものはカラスではない」を証明することで、「カラスは黒い」ことを証明したのです。

意味わかりますか?

言い換えると、「カラスは黒いという仮説は黒くないカラスが見つかるまでは真である」ということです。

この論法、ずるいですよね。

「カラスは黒い」を証明しろって言われて「黒くないカラスが見つかるまでは、カラスは黒い」って言ったらなんでもありになっちゃいます。

それが帰納法の弱点、つまりパラドックスなのです。

  • 「カラスは黒い」
  • 「黒くないものはカラスではない」

両方とも「現実的には」検証できないのです。

机上の論法は出来ても、現実的に検証できなければ意味がありません。

このように、この仮説を立てる際にはその仮説をどのように検証するのか考えておく必要があります。

これをないがしろにすると、「そう言われても何をすればいいかわからない」状態になります。

そして何をしても、その仮説の真偽を判定することは不可能です。

こういう場合は、仮説そのものを見直し、検証可能な仮説に組み立て直す必要があります。

ちなみにヘンペルのカラスはその後反証されます。つまり「黒くないカラス」が見つかったのです。

これはアルビノのカラスです。アルビノとは先天性色素欠乏症と呼ばれ、生まれつき色素が出にくい体質のことです。

これでようやくヘンペルのカラスは反証されたのでした。

補足: ヘンペルのカラスをビジネスシーンに例える

ヘンペルのカラスをビジネスシーンで考えてみましょう。そうすると意外な発見があるかもしれません。

今回はヘンペルのカラスを上司と部下の会話に例えてみましょう。

上司: 俺は「全てのカラスは黒い」と思っている。おまえ、それを証明をしてくれ

部下: でも、すべてのカラスを黒いと確認するのは現実的に無理ですよ。代わりにその仮説の対偶「全ての黒くないものは、カラスじゃない」が正しければ、その仮説が正しいと証明できますよ。

上司: その方が現実的に無理だろ?

部下: そっちの方がはるかに簡単ですよ。つまり「黒以外のカラス」が発見されなければ「全てのカラスは黒い」という仮説は正しいわけです。

上司: よくわからないんだが…どういうことだ?

部下: 「黒以外のカラス」が見つかるまでは、その仮説は正しいってことですよ。

上司: ん、あ、え、そうなの?…じゃあそういうことでいいか…

さあ、これで上司は納得できたのでしょうか。おそらく納得はしてないでしょう。

もしかしたら「いや、黒以外のカラスを見つけてこい」とか、「他にできることを考えろ」というかもしれませんが、そもそもその仮説の検証可能性がないので何もできません。

だから検証可能性は大事なのです。

まとめ

思い付きやアイデアは検証可能性と判定可能性、反証可能性を持って初めて仮説になります。

検証可能性は仮説の真偽を確かめるために重要な特性です。

まず仮説を考えたら、それをどのように検証するか、具体的な方法を検討しましょう。

もし検討方法が見つからない場合は、その仮説を見直し、新たに仮説を組み立て直しましょう。

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適切な仮説の立て方

ビジネス

前回、科学の仮説とビジネスの仮説の相違点という記事を書きましたが、今回はそもそも仮説をどのように立てるかを考えていきたいと思います。

なお、本章では科学とビジネスの区別はしません。仮説という原理原則に従って、汎用的、一般的に適切な仮説について論じます。

この議論は、この記事を含めて5つのブログで構成されています

1. その仮説は検証可能か

2. その仮説は判定可能か

3. その仮説は反証可能か

4. まとめ

学び方はこの記事から順に1-4へと読んでいくことを想定しています。ただしこのような議論は理解しにくい場合もあるでしょう。その時は前項に戻ったり、それぞれの意味合いを再確認してください。

仮説の実証サイクル

まず仮説の実証サイクルについて説明しましょう。仮説は検証、判定というプロセスを経て、実証されなければなりません。下の図を見てください。

ここでは判定の結果によって、分岐が生じます。判定が真であれば、その仮説は正しいということになります。一方、偽であった場合には、新たな仮説を立て、その検証、判定を繰り返します。

これが実証サイクルです。全ての仮説はこのサイクルを経て判定されなければなりません。

よって仮説には次の特性を有していることが必要になります。

  • 検証可能性
  • 判定可能性

これらについてはそれぞれ別の記事で詳しく説明します。

補足という名の独り言

実証サイクルってPDCAサイクルと似てるなと思った方、鋭い!本質的には実証サイクルはPDCAサイクルと似ています。

しかしPDCAサイクルと実証サイクルの決定的な違いは判定によって生じる分岐です。

判定はPDCAで言うところのCheckに相当しますが、PDCAはPlan(計画)とDo(実施)の間に差分があることを前提としています。例えば、計画を100%として、実施が80%だった場合、その差分の20%を確認することがCheckです。そして20%を埋めるための作業がActionになるわけです。

一方、実証サイクルの判定結果は真か偽のいずれかしかありません。前にも述べましたが80%正しい仮説のような中間がありません。100%以外は全て偽です。

その点を考慮して、実証サイクルはPDCAサイクルと異なる形になっています。

反証可能性

この言葉を聞いたことがあるでしょうか。

反証とは、正しいとした仮説を覆す事実のことです。

科学哲学者であるカール•ポパーはこう述べています

どのような手段によっても間違っていることを示す方法がない仮説は科学ではない

これを聞いて?となった方もいるのではないでしょうか。

間違ってることを示すことができないなら、その仮説は正しいということでは?そう思われるでしょう。

でもポパーの言っているのはそういうことではありません。

ポパーはどのような説も、それが間違っていると証明する「手段」があることが必要だといっているのです。

例えば「私は神だ」といってる人がいるとします。これは反証できるでしょうか。「お前は人間だ、その証拠にお前は俺たちと同じ姿をしているじゃないか」といっても、相手は「お前たち人間は私に似せて作ったから同じ姿なのだ」と言われるかもしれません。

ちなみにこの返答は旧約聖書にある「神は自らに似せて人間を創造された」に基づいています。

このような仮説は議論の余地がありません。つまり反証する手段がないのです。これがポパーのいう反証可能性の重要性です。

実は反証可能性は、上述した検証可能性、判定可能性の両方を内包した表現なのですが、説明のし易さと理解のし易さを考慮して、ここでは反証可能性は独立した概念として扱いましょう。

まとめ

適切な仮説には次の3つの特性を有している必要があります

  • 検証可能性
  • 判定可能性
  • 反証可能性

つまり適切な仮説であるかどうかを評価するには次の3点を満たしているかを考える必要があります。

  1. その仮説は検証可能か
  2. その仮説は判定可能か
  3. その仮説は反証可能か

それぞれの点の評価は、別の記事で紹介することにして、今日はこの3つの論点を覚えておきましょう。

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科学の仮説とビジネスの仮説の相違点

ビジネス

「仮説を立てる」という言葉はビジネスの世界で流行しているようです。Amazonで「ビジネス 仮説」と検索すると134件もヒットします。それに昨年はBCG流仮説思考みたいな本が大いに売れました。


もともと仮説という言葉は科学用語だったのですが、それを科学的管理法とか科学的経営とかいう経営学理論が発展するうちにビジネスの世界でも仮説という言葉が使われるようになったのだそうです。

僕はもともと自然科学を勉強していたので、仮説という言葉の意味は知っているのですが、どうもビジネスの世界で使われる仮説という言葉の使われ方に違和感がありました。

そして色々な仮説の使われ方を見聞きするうちに、段々「ビジネスの仮説」というものが理解できてきました。

そこで今回は、「科学の仮説」と「ビジネスの仮説」の相違点についてまとめることで、その意味合いを僕なりに整理することにしました。

仮説の意味

仮説というのは、字のごとく「仮に立てる説明」のことです。より正確にいうのであれば、「ある事象の発生の原因が不明な場合、その事象を合理的に説明するために、仮に立てる説明」のことをいいます。

例えばリンゴが木から自然に落ちたところを想像してみましょう。(もちろん、万有引力の法則は知らないという前提で。)

その事象をみて、なぜリンゴは外部の力なしに下に引き寄せられたのだろう?と思い、それを合理的に説明するために「大地は、周囲のものを引きつけている」という仮説を立てたとします。

それが本当かどうかはまだわかりません。ただこの説はリンゴが落ちた事象を合理的に説明できています。これが科学で用いられる仮説です。

一方、ビジネス上で使われる仮説という言葉のニュアンスは人によって異なります。

例えば「この事業に参入すれば儲かるはずだ」とか、「〇〇すれば、もっと収益性が高まるはずだ」という文が仮説と言われる場合もあります。

その他にも「顧客はこういう課題を抱えているのではないか」などの言い方もあります。

これが科学の仮説と意味が異なることがわかりますか?

科学の仮説は、ある事象に対し、例え仮にせよ(つまり真偽がその時点で不明であっても)合理的な説明になります。

つまり仮にでも断定的な文になります。「なになにが、なになにだ」という表現になります。

しかしビジネスの仮説は断定的な言い方はしません。「なになにではないか(?)」、「きっとなになにだろう(?)」という表現になりがちです。表現の仕方では(?)とはならないかもしれませんが、本質的な意味では一緒です。

つまりビジネスの仮説というのは、仮説というより、推定、推論という表現の方が適切です。

この違いはとても重要です。なぜなら仮説を立てた後続く、判定に影響するからです。

検証

判定について勉強する前に、検証について理解しましょう。

検証とは、ある仮説の真偽を判定するために行う行為を指します。

先ほどのリンゴの例、あれは天才と呼ばれたニュートンが万有引力の法則を発見した時のエピソードですね。

たまに勘違いされている方がいるのですが、ニュートンが天才と呼ばれたのは「リンゴが落ちたのをみて、万有引力を思いついたから」ではありません。

万有引力という仮説を検証して、証明したから天才なのです。

(仮説を思いついただけで天才と呼ばれるのであれば、幼稚園児の時、スーパーボールを壁にぶつけて跳ね返ってくるのをみて、「これは僕が与えた力に対して、壁がそれと逆向きの力を与えたからだ」と思った僕も天才になってしまいます。)

検証という行為は非常に重要です。この行為がなければ、仮説はただの「思いつき」になってしまいます。

(だから僕は凡人なのです)

検証という行為を通して仮説の真偽を決定します。このプロセスは科学の仮説もビジネスの仮説も両方あります。

検証の方法は仮説により異なります。科学では実験や観察という行為が検証方法の代表ですが、ビジネスでは分析などが方法として一般的ではないでしょうか。

科学でいう判定

検証行為を通じて得られたデータないし知見を用い、仮説の真偽を決めることを判定といいます。

この判定プロセスが科学とビジネスで決定的に違う部分です。

科学でいう仮説の判定は真か偽のどちらかです。0か1か、マルかバツか、そのいずれかです。

ですから「この仮説はちょっと間違ってる」とか、「この仮説はおおよそ正しい」という表現は間違っています。どちらも偽です。

そんなこと言ったら大抵の仮説は偽だろうが!と思われるかもしれません。その通りです。

エジソンの名言にこんな言葉があります。

「1万回の失敗をしたのではない。うまくいかない方法を1万通り見つけただけだ」

これはまさにその通りなのです。つまりこの仮説は偽であった。では次の仮説は…と繰り返し考えながら真実を探求していくのが科学なのです。

補足

ここは読み飛ばしても構いませんが、上のプロセスだと永遠に真実は掴めないと思う方もいるかと思います。

この仮説は偽であった。では次の仮説は…、またその次は…、またまたその次は…となり、永久に真とは言えないこともあるでしょう。その結果、最終的に生まれるのは偽とは言えない仮説です。

また例え、この仮説は真だ。と言えても、ある事実によってその仮説が覆される可能性もあります。

数学の授業で「カラスは黒い」という命題を証明しろというのを習ったことがあるかもしれません。

たとえここで、この命題が真と証明したとしても、突然変異で白いカラスが生まれる可能性はあります。事実、ホワイトタイガーという虎は、遺伝子の突然変異によって色素がなくなってしまった虎です。


このように、すべての仮説は覆される可能性を持っています。これを反証性と呼びます。またある事実により、これまでの常識が覆されることをパラダイムシフトと呼び、そのような事実はディスラプティブ(破壊的な)な事実と呼ばれます。

言い換えれば、我々が常識と考えているものは真実ではなく、いつか或いはいつでも覆される可能性を持つ仮説であるということもできます。

ビジネスでいう判定

ビジネスの仮説を検証し、判定を下すというのは非常に難しいといえます。

なぜならビジネスの仮説自体が推定、或いは推論なので、真偽と判定することができないからです。

ですから判定というより、可能性を探るというような形になりがちです。

天気予報を思い出して下さい。天気予報には降水確率というものが表示されます。我々一般消費者が知りたいのは、雨が降るのか、降らないのかのどちらかです。しかしそんなことはお天気お姉さんでも判定できないのです。ですから確率で考えることになります。

ビジネスの仮説もこれに似ています。仮説(或いは推論)を立て、それを検証し、仮説の真偽の可能性を判断します。可能性が低ければ、仮説を修正し、改めて検討して可能性を高めます。

この繰り返しにより、ビジネスという可変性の高いものを、より成功に近づけるための方法を模索します。

まとめ

このように仮説という言葉の意味が科学とビジネスで大きくニュアンスが異なることがわかりました。

もし皆さんが仮説という言葉を使う時は、あらかじめこれらの違いを理解しておくことが重要です。

特に、自分では仮説と思っていても、周囲は「それは個人的な思いだろう」と思われるような仮説の立て方をしているかもしれません。

そんな時は「そもそも仮説ってなんだっけ?」という問いを自分で発することが必要です(だから僕もこの記事を書いたんですが)

次回は「適切な仮説の立て方」を書いてみたいと思っていますが、何しろ個人的なブログですし、電車の車中で思い付きで書いてるのでいつになるかわかりません。

また次回、お会いしましょう。